教育研究集会では外国語部会の共同研究者をつとめています。また教育総研の研究員をさせていただきましたし、『教育と文化』にも何度か、また、最近『主権者はつくられる』(アドバンテージサーバー)に「○○教育で疲弊しないために」というのを書かせていただいています。
https://www.adosava.co.jp/cgi-bin/booklist.cgi?type=searchdetail&dn=086446-0538&pg=1&sk=2&cno=1
埼玉県で高等学校の教員を10年し、在職しながらMA,修士の学位を得て、縁があって、名古屋の女子短期大学に赴任しました。その後、改組となり人文学部そして教育学部に所属しました。定年は70才なのですが、浦和との往復もあり、還暦をむかえて、早期に退職することにしました。
このような話をすると、皆さん、働き者でらっしゃいますので、もったいないですね、という反応ですが、外国の方はハッピーリタイアメントと喜んでくれます。そのようなちがいも、面白いですね。
若い頃、生徒たちといろいろなことがあったのを思い出しました。今では、考えられないくらいおおらかな時代で、あまりおおっぴらに話せないことも多いです。頼りない教師でしたが、頼りないので生徒が寄ってきていろいろ頼まれました。授業に関しては、惨憺たるもので、研究会で多くを学びました。
そこで学んだのは「コンテント」がだいじだということです。何を学ぶのかということです。英語が役に立つとか、将来、英語が必要だとかという論理は、工業高校などでは通用しません。教材のもっているメッセージがだいじです。生徒にとって意味のある「コンテント」でなければ、だめです。同時に、ステップをこまかくして、達成したら次にすすめるような、ドリルの工夫もしました。
ですから指導要領では、コンテントからパフォーマンスにという転換があるようですが、英語でいうと英語が「使えること」(パフォーマンス)に意義を見いだせない場合はどうなのか心配です。授業とは、本来、学級や学校はどのような場なのかが問われるべきでしょう。
大学でも教員養成課程をかわきりにコア・カリキュラムを整備するということがトップダウンでおりてきています。
全国でおよそ770ある大学のうち220大学に教職員組合があるとされていますから、4割くらいしか組合がないことになります。そのうち大勢いる教職員のうち数人ということもあるといいます。わたくしが勤めていたところは組合がありました。発足当時、母体である学園の中高組合の支援もあり、女性教員の産児休暇・育児休暇が実現をということがきっかけだったと聞いています。
東海地区は、私学助成運動がさかんで、家庭への直接助成を実現させていると聞いています。また生徒がつくる
愛知サマーセミナー
は、30年の歴史があり、内容も充実しています。運動を牽引した寺内委員長は『おおきな学力』(労働旬報社)という本も書かれています。わたくしが勤めた学園の系列校である東海中高・東海学園高校はその中核です。
「こたえのない問い」を考えてみましょう。
わたくしは哲学科出身で、今なら、採用試験に合格するなど、とうていおよばなかったでしょう。当時は同じ学部であれば、本来は社会科の免許だったでしょうけれども、英語科の教員免許を取得できました。急増期で、採用がたくさんありました。英米文学や語学専攻でなかったので、英語を教えることに意識がむかなかったのは幸いだったのかもしれません。今の先生方はとても「優秀」ですけどね。
青年期に自分は「どこから来て、何をして、どこにいくのだろうか」という問いをもったわけですね。仏教系の大学、大正大学という天台宗・真言宗・浄土宗の3つの宗派による大学で宗教学を学びました。仏教もですが、社会における宗教のあり方とかに関心がありました。それでは飯がくえないので、教員になったわけです。今は、大学でもキャリア教育とかで、就職率をあげることにやっきになっていますから、その風潮では異端でして、大学で学んだことが、仕事につながらない典型でした。
「どこから来て、何をして、どこにいくのだろうか」ということを考えるのはたいへんですので、アイスブレイキングとして使うものを皆さんに考えていただきます。自分にとって、将来というか、生活は次のa から e のうちどれにあてはまるか考えてみてください。そして、その理由はどうでしょうか。
a. まっさらな白紙,
b. 街と街をつなぐ鉄道,
c. サイコロをふる,
d. 海を船でいく,
e. 急流をくだる川くだり,
ワークショップではグルーピングをします。今日は、同じ職場や地域の方とご一緒でしょうし、それでもよいので、あとで、少し、周りの方とやりとりしてみると面白いかと思います。1つ選ぶのは難しければ、2dつ、あるいは選択肢にないのでもかまいません。
あまり言葉をはさまない方がよいのですが、まっさらな白紙というのは、可能性がひらかれているともとれるかもしれません。キャンバスに描いてというイメージでしょうか。鉄道は場所をつないでいますよね。イベントもあるでしょうし、運転手に運命は委ねているかもしれません。路線もあり、時刻表もあり、予定もたちますね。サイコロでというのは、運命は自分ではコントロールできないのかもしれませんね。船はどうでしょうか、どういう船かにもよりますが、次は、川ですね。ラフティングでしょうか。誰と乗っているかも考えてみたくなります。
となり近所の方とお話をして、みていただけますか。同じものを選らばれたでしょうか。どれを選んだから、どうということもないわけですが。「やりとり」をすることのきっかけになると思います。選ぶという行為は、意味があります。何を選んでも正解がないとすると、選ぶということは、平等で、ひらかれている場にしたいという、メッセージになります。
1990年代には、人権学習などで、欧米から、参加型学習が紹介されます。開発教育でもよく使われるようになりました。人権教育や平和学習でよくあるのは、映像やお話を聞いて感想文を書いておわり、というものでした。生徒は、教師が熱く語ることを賢く察して、教師が望む感想を書くといわれています。
わたくしたちは、英国のディビッド・セルビー(David Selby)さんに学びました。
1996年から、5年間、約2週間のセミナーをカナダでしました。セルビーさんは英国に戻られ、サステイナブル・フロンティアーズという団体をされています。
http://www.sustainabilityfrontiers.org/index.php?page=david-selby
そうした参加型の手法を英語教育に応用したいと思って、テキストもつくったりしました。環境・開発・人権・平和をテーマにした参加型のアクティビティを体験しするようなワークショップもずいぶんしました。今は、アクティブ・ラーニングのブームは下火になったかもしれませんが、それらはアクティブ・ラーニングだったと思います。小関一也(常磐大学)さんがまとめられています。
http://www.tokiwa.ac.jp/~oseki/index.html
やっと学習指導要領の話になります。指導要領は「できるようになることをめざしている」とすれば、何をできるようになるのか、が問われなければなりません。
学生や高校生(よく大学教員が高校に行ってする出前授業で)に聞いてみると。どういうこたえがかえってくると思われますか。あるいは、みなさんの幼少期から、子どものころをふりかえっていただくと、どのような「資質・能力」を身につけられましたか。
カードにできるだけたくさん書いて、分類して、見出しをつけるというような手法もあります。最初、個人でしてみて、ペアやグループになると同じことが書かれたカードもあり、重複したものがあったら、それはそれで、たいせつなことだとなるわけです。それらをながめながら、これができて、これらができるとこれができる、というようなものもあり、発達心理学という領域もある、などと高校生には話すわけです。
多くの学生が、集団生活、時間を、ルールを守る、がまんする。と答えました。
いかがでしょうか。学校教育のたいへんな、すばらしい成果だと思わざるを得ません。「自由、平等、博愛」というような価値は、どこへいったのでしょうか。
権利を実現するための「ちから」を獲得するのが、教育のはずが、権利よりは、義務が、日本では強調されがちだといいます。
セルビーは、権利は責任に支えられるとしました。自由であるには、もちろん責任がともないます。自由であることは、勝手気まま、無責任だといわれかねないのですが、自由であることに、おおきな価値を見いだしたいのです。
しかし、先の高校生さんがだしたものは、いかにも不自由なことなのではないでしょうか。自らすすんで不自由になったわたくしたちの姿があります。
それでは、わたくしたちは、どんな教育をのぞんでいるのか、お手元にある白紙に書いていただきたいのです。親指の字くらいの大きさで。学校目標や、学級目標が、教室に掲げられています。教育実習の巡回に行くと目にすることがあります。どのような学校目標や学級目標がありますか。
本当はフェルトペンでも持ってくればよかったのですが、名古屋から戻る時に、大学や団地にあったものは処分してきたので、処分してしまうと、こういう仕事が来るのですね。人数の少ないワークショップなどでは、書いていただいたものをメンディングテープで壁にはったりするのに、、、あらゆるテープをためしました。セロハンテープはなかなかはがしにくく、マスキングテープとか、養生テープがよいです。
大学でも建学の精神が教学に反映されているかが問われています。わたくしが勤務していた大学は、「共生」(ともいき)、浄土宗の開祖・法然によるものと勤倹誠実という東海中高の校是を建学の理念にするとしています。
小中高でも学校評価でたいへんと聞いていいますが、このごろ、大学では、建学の理念のもとディプロマ・カリキュラム・アドミッションポリシーという3つのポリシーが求められます。ディプロマ・ポリシー、ディプロマは学位ですね。どういう授業をするのかがカリキュラム・ポリシー、アドミッションは入学にあたっての規準ですね。この3つのポリシーを明示するよう求められています。大学の格付けみたいなのがあって、大学基準協会にぼう大な書類を提出して、審査を受けるということをするのですが、その作文にてんやわんやしておりました。宗教系の大学とて、かならずしも宗教的信条が基盤としているとはいえないので、形骸化しているのではないかとも思います。
次に○○教育をだしあってみましょうか。教科教育のほかに、人権教育とか、防災、交通安全教育とかありますね。最近では、プログラミング教育とかも話題になります。こんなのもある、というのをあげてもらうと面白いかと思います。
人権教育や環境教育、食育、消費者教育には根拠法がありますね。
○○教育が特別にあるのではなくて、教科教育が生活指導と一体になっているように、学級や学校という学びの場があって、そこで教科教育や○○教育が展開されるのではないでしょうか。
とくに中高の先生方は教科教育に意識がいきがちかもしれませんが、教科をつなぐという発想が求められると思います。かねてからの総合学習、総合的な学習の時間では、教科横断的な実践が展開されました。セルビーは、リコネクティングということを主張していました。英国などでは、あるテーマのもと各教科で展開するという実践があるようでした。
かつて小学校の総合学習で、英語ではなく国際理解教育としてなかなかおもしろい実践がありました。しかし、東京では2クラスを3展開するということがあり、担任が自分の生徒を掌握できないという事態が生まれています。
○○教育でその目的を達成するために効率をあげればよいのでしょうか。ふたたび「できる」ということにたちかえりたいと思います。
カリキュラム提言にあるようにインクルーシブへの視点はきわめてたいせつで、ICF(「国際生活機能分類」)の視点から学びたいと思うようになりました。
https://www.mhlw.go.jp/houdou/2002/08/h0805-1.html
WHOによるもので、障がいのある人や介護の必要にあたりその判定に使われるもののようです。福祉・ボランティア教育という分野で熱心にされている先生から教えていただきました。特別支援の分野では知られているらしいですが、勉強してみたいです。
「できない」のであれば、不利にならないようにケアをする、よりひろい文脈で活用できる指標ではないかと思っています。医療や福祉の専門的なことをふくんでいますので、勉強不足ですが、わたくしたちも学ぶことが多いと思います。
能力とは何か、何々ができる、できないではなくて、できないことによって不利になるのであれば、何らかのケアをすることが課題としなければならないのだと思うのです。できる・できないという序列をつけるための尺度とするのではく、学んだことの当事者の受けとめ方、達成感や充実感、「幸せ」に焦点をあてたらどうかという提案をしたいと思います。
たいていは得意な教科と、好きな教科が一致していますよね。でも、最近は、好きでもないけど、点数はとれるという現象があるようです。本来は「わかって、好きになって、できる」ということが統合されるはずですが、そうでないこともあるようです。
心理学では、主観的な幸福度などというのは、はかれないとされてきたのですが、近年、幸福を科学するということもなされているようです。(大石繁宏『幸せを科学する――心理学からわかったこと』新曜社)
皆さん、どのような時に幸せなを感じますか。
自分が健康であり、家族とともにということもあります。もちろん、ベースとして、いちおう経済的な困窮はないとして、より人間関係がある人たちの方が、幸福であると答えているという結果があるようです。
テストで点数をとることのみが、幸せなことでないというのは、実感から言えますが、児童・生徒が、学校生活や学びが充実しているということが、幸せにつながっているという視野をもちたいです。
今期指導要領の背景として、急速な社会の変化がいわれていますね。国際社会の動きを受けています。
国際社会では、国連は2000年を平和の文化国際年としました。その後、世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化国際10年を展開します。同時にミレニアム開発目標(MDGs)が設定され、2015年までにその実現に努力することになります。背景には、平和は戦争がない状態ではなくて、貧困や不平等といった構造的暴力を解消することであるという認識がひろまったことによります。国家による安全保障から、暴力を生まない、平和の文化をつくるということで、教育がだいじだとされました。
動物は暴力的だから、動物である人間も暴力的であり、生まれながらにしての暴力、すなわち戦争はなくせないと多くの人は思っています。ユネスコは、非暴力に関する「暴力に関するセビリア声明」(1996)のなかで、戦争は文化による所産であるから、戦争を生みだす文化を平和の文化に転換することでなくすことができるとしました。これは画期的なことです。
ユネスコは国内機関を置くことになっていますが、国内委員会は文部科学省にあります。それとは、別に、日本では地域のユネスコ運動が盛んです。平和の文化国際年には、ユネスコ協会連盟が「わたしの平和宣言」への署名活動を展開しました。
1「すべての生命を大切にします」
2「どんな暴力もゆるしません」
3 「思いやりの心を持ち、助け合います」
4 「相手の立場に立って考えます」
5 「かけがえのない地球環境を守ります」
6 「みんなで力をあわせます」
(連帯を再発見/再構築 )
同時期、ESD(持続可能な社会のための教育)の推進が、2005年から2014年の10年に展開されました。こちらは、当初は環境省とのかかわりで、環境教育の色が濃かったのですが、文科省でもユネスコスクールを増やすということにとりくむようになりました。以降、GAP(グローバルアクションプラン)として継続されることになります。
また、ミレニアム開発目標(MDGs)は、SDGsとしてより精緻化され、2030年までに達成するようすすめられています。
SDGsが社会課題として認知されるようになり、財界もビジネスチャンスとなると鵜の目、鷹の目でねらっています。「 Society 5.0実現による日本再興」というのを経団連がだしています。
http://www.keidanren.or.jp/policy/2017/010.html
○○tech, IcTが、日本の未来を切り開くかのような図が描かれています。
https://www.keidanren.or.jp/policy/cgcb/2017shiryo2.pdf
こうした世界観や人間観が指導要領の背景にあるのではないでしょうか。
しかし、ソサエティ5.0やSDGsがこたえなのでしょうか。こたえがないのなら、学んだことが将来につなげるということはいえないはずです。
「主体的、自由になりなさい」というのは矛盾です。セルビーは、「民主主義を教えるのに、質問させない」という風刺画を紹介したことがあります。
コンテンツよりコンピテンシーといわれますが、コンテンツのないコンピテンシーは問題です。
学士力(文科省)、人間力(内閣府)、社会人基礎力(経産省)という概念がそれぞれだされますが、そのこと以上に、そうした理念を実現するには、生徒がだしてくれたような隠れたカリキュラムにおいて学ばれることを、問い直していかなければならないと思うのです。
戦後の教育改革について、NHKが戦後のあゆみとして、インタービューをアーカイブしているもののなかから、上田薫さんの言葉を紹介します。
https://cgi2.nhk.or.jp/archives/shogenarchives/postwar/shogen/movie.cgi?das_id=D0012100425_00000
「これまでの教育では、その内容を中央できめると、 それをどんなところでも、どんな児童にも一様にあてはめて行こうとした」「型のとおりにやるのなら教師は機械にすぎない」「児童青年のその地域における生活の特性によって、地域的に異な るべきものである」
このようにまさに自主編成が、わたくしたちのカリキュラムの根幹をなすものだと思えます。戦後社会科の理念をみておきます。
新しい民主的な社会を主体的に創造する人間は子どもの切実な問題解決を核心とする学習によってこそ育つという考えにもとづいています。
・・・問題解決学習を進めていくことによってこそ、子どもたちはものごとの本質をねばり強く個性的に追究し、新しい社会を創造できるように育つと考えます。
・・・つめこみ・教えこみの指導を排します。・・・すべての学習・生活指導で、子どもが中心となって進める教育の創造をめざします。
キーワードは問題解決学習のように思えます。PBLのPは、プロジェクトであっとあり、プロブレムでもあったりしますが。また、東井義雄による『村を育てる学力』という著作がオンデマンドで復刻されています。
「勉強すればする程、冷たい人間になるような、そういうかしこさ」を退ける、というメッセージは生きていると思います。
「そだてる理科」
「かわいがる理科」
「仲よしの理科」
「一緒にあそぶ理科」
「おどろく理科」
「工夫する理科」
というふうに理科をとらえたそうで。英語科だったらどうかとも思いました。
戦後日本で起きたことが、開発途上国でおきています。教育開発や教育支援もなされ、教育がすすむなかで、ケニアならナイロビにでて、さらにヨーロッパに人びとが移動していく実態があるわけです。経済のグローバル化がすすむなかで、富はより豊かな者に集中し、貧しい人はより貧しくなるという実態があるといいます。それにたいしてローカリゼーションという運動もあります。
何度か、紹介したセルビーは、グローバル教育を提唱します。何冊もの書籍が翻訳をされています。セルビーの言うグローバル教育は、環境教育や人権教育と重なる部分が大きいです。
D.セルビー・G.パイク著、小関一也監訳『グローバルクラスルーム』(明石書店)
http://www.akashi.co.jp/book/b65625.html
では「権利と責任」「健康」という2つの章を担当させていただきました。このなかにたくさんアクティビティが所収されています。
構成的グループエンカウンターを授業にとりいれた鹿島さんの活動がNHKのプロフェッショナルで紹介されてDVDにもなっていますが、そのなかでもされる「権利の熱気球」は、セルビーのワークショップでのアクティビティでも欠かせないものの1つでした。
セルビーのグローバル教育は、英語教育をおしすすめるようなグローバル教育のながれとちがっています。グローブは球であって、統合するという方向性がありました。外にむかうことは内にむかうことだというのが特徴で、ホリスティック教育とも重なる部分があります。また源流は世界志向と児童中心主義にあるといいます。ちがい、つながり、参加、プロセル、未来志向を特徴としています。
セルビーによれば、世界をどうみるか、ビリヤードモデルからウエッブモデルでという2つの見方があるといいます。ビリヤードの玉を国家として見立てていましたが、現在はウエッブモデルで、主体(アクター)がネットワークを介して、国境をこえて直接つながることができ、影響しあっているということが見てとれます。国家間ではなく、自治体であったり、企業であったり、個人が、国境をこえて、つながることになります。さらに、蜂や動物の群れ、人がダンスをする時のように、有機的なダイナミックなものとしてとられるといます。
セルビーは、さまざまな地球規模の問題)は、わたしの内面や地域とかかわっていること、またそれらを過去・現在・未来という時間軸でとらえ、統合されるものとしています。それらがわたくしの内面性(スピリチュアルなもの)となり、世界に向かうと同時に、わくわくするもの、自分のものとなるといいます。
世界とのかかわりを、自分や地域のこととしてとられるということの例として、北米の平和教育をあげることができます。北米では、コンフリクト解決教育が平和教育だとされています。対人関係トレーニングや組織マネジメントに源流があるのですが、対立やもめごとを、どう解決し和解するかということが課題となります。
また、修復的司法、罪を裁くのに、法律にあてはめて刑を決めるのではなく、加害者が被害者と会って、加害者が被害者に謝罪をするなかで、回復をみるというものです。いじめ問題を、当事者どうし、自分たちで解決するというようなとりくみもあると聞いています。
人間関係から民族問題も視野に入ります。ケニアでは選挙のたびに騒乱がおこるので、日頃からの民族蔑視をなくしておくような教育がたいせつだということになっています。
歴史の問題も避けてとおりません。アルメニアは、ソ連崩壊後、独立20年になり、会合に招かれました。ノアの箱船が着いたとされるアララト山がある地域で、古くからのキリスト教徒で、アルメニア正教という宗派があります。しかし100年前にトルコに侵略され、現在はアララト山はトルコ領になり、同時にジェノサイドが起こり、800万人ものアルメニア人が世界に離散しているとの話を聞きました。
日本とアジアとも過去の歴的問題が課題となっているのはご存じのとおりです。
現在は、歴史教育に関心を持ち、ヨーロッパの歴史教育の会議にでています。今年は、フランスのマルセイユ、昨年はスペインのバスク、一昨年は北アイルランドのベルファストでした。もっと日本の人がこのような会議にでたらよいと思いますが、ヨーロッパ評議会の教育部門で、話題になっているのは論争のあるテーマをどう教えるかということでした。もっとコントラバーシャル(意見の分かれる)なことがらを、ということでした。
このごろはなかなか授業で、戦争のことをとりあげることは難しいでしょうが、フィリピンやアジアでの和解をすすめようとしている
ブリッジ・フォー・ピース
というNGOの活動についてご紹介します。理事としてお手伝いをしています。
ブリッジ・フォー・ピース代表の神直子は、大学生の時、フィリピンへのスタディツアーで、フィリピン人に「日本人に会いたくなかった」と言われたのがショックだったといいます。日本軍に夫を殺された女性の発言です。その言葉がづっと胸にあったといいますが、ある日、元兵士の方が話しを聞いて欲しいということになり、インタビューをする機会にめぐまれます。以来、映像取材をつづけ、編集したビデオをフィリピンで上映する活動をしています。
現地の方々から、歴史的事実として、虐殺事件はあったが、それにかかわった人たち(日本兵)も歴史に翻弄されていたのであり、「許したい」という関係をきづくことができてきたといます。
毎年、2月はマニラでは、マニラ市街戦の追悼式典がひらかれます。1945年2月から1ヶ月続き、多大な犠牲がありました。日本では余り知られていませんが、マニラ市街戦の市民の被害者は70万人にものぼったわけです。沖縄戦での艦砲射撃の映像をしばしば目にしますが、同様の大型火器の使用をワシントンは許可したといいます。陸戦としては、日本兵および連合軍兵士も入りまじって、市民かゲリラか兵士かわからず殺戮が繰り返されたといいます。わたくしもこのことを知りませんでしたが、フィリピン史の専門家の中野聡(一橋大学)さんからうかがいました。
http://www.ne.jp/asahi/stnakano/welcome/olj.html
NHKから丹念に取材した番組がDVDになっています。
敗戦の色が濃くなり、日本兵は敗走するわけですが、その先々で村々を焼き払い、村人を虐殺する事件が相次ぎます。ブリッジ・フォー・ピースでは元日本兵にインタビューをした映像を編集し、現地の被害者や地域の人々、学生などに見てもらう上映会活動をしてきています。そのなかで、お父さんを殺された方とも、80才をこえていますが、交流を続けてきています。
教育をつうじて、何をつたえるか、コンテンツがだいじだし、意見がわかれることをさまざまな場面でとりあげることで、閉塞状況を少しでも打ち破るためのヒントにしていただければと思います。