国際理解の足下,多文化共生と平和の課題

―Building the Culture of Peace from Hokkaido

司会・提案:淺川 和也(東海学園大学人文学部)

提案:平野井ちえ子(法政大学)/岡田 順子(埼玉県立朝霞高校) / 寺島 隆吉(岐阜大学)

提案I 「エコロジーを軸に多文化理解を考える」淺川 和也

 社会的問題をテーマとした映画や英語の歌(ポップス)が学習者の問題関心を喚起し,意欲を高め,意見を引きだすという事例にもとづくワークショップをこれまで持った.また,グローバル教育がすすめる協働はコミュニケーションをはぐくみ,環境への行動を支えるという視点でのシンポジウムも行った.昨年はテーマを「平和の文化を沖縄から」とし,沖縄を題材とした高校教材について,記録映画(「教えられなかった戦争・沖縄編―阿波根昌鴻・伊江島のたたかい」)の英語版制作に英語教師がかかわった活動からメッセージを発信する教師の役割をも考えた。国連は現在「世界の子どもたちのための平和と非暴力の文化 国際10年」(2001~2010年)をすすめている.そのためには文化について,考察を深めることが重要だと考える。

 本シンポジュウムは,第40回全国大会の場が北海道であることを踏まえ,国際理解の足下ともいえる多文化共生をテーマとする。多文化理解ではエコロジーの視点が基になることを押さえ,芸術・文化としての文学,アイヌ理解,さらに平和教育学としての国際理解教育への提案から論議を深めたい。

提案II 「ことばで何を学ぶのか」平野井ちえ子

 現在,日本の大学教員の間では,英語教育と文学教育は,両立し得ないもののように扱われている。また「文学は役に立たないし,外国文化の精神は完全にわかるはずがないから,学ぶ意味が無い」と実用英語を重視する傾向がある。しかしながら,人間は,ことばの世界に遊ぶことでゆたかになり,異文化の他者との対話によって,自己のアイデンティティを確認することができる。「完全にわかる」ことに拘る人は,話者ないしは創造者と同じ視点で理解することに敬意を払っているのだろうが,逆に「わからないこと」から自己と他者の差異を理解することになるのだ。「役に立つ・立たない」,「わかる・わからない」という議論は,文学に限らず,他の芸術・文化を学ぶ際にはつきものの価値判断になる。こうした異文化理解の宿命をふまえつつ「ことばで何を学ぶか」ということを論じ,国際理解教育の入り口の議論としたい。

提案 III 「アイヌ民族への視野を」岡田 順子

 高校の英語の授業におけるアイヌ語とアイヌ文化理解をめざした実践にもとづき,アイヌ語・アイヌ文化を英語の授業でとりあげる意義を提案する。その意義として,一つは言語権の問題について考えさせ,適切な言語観を育てることであり,もう一つは異文化理解の視点を育むことにある。

 英語に限らないが,外国語教育の大きな目的の一つは,多言語主義にもとづいた適切な言語観を育成すること,といえる。したがって英語の授業においても英語だけではなく,世界の諸言語を相対的に観察できる力,適切な言語権に対する認識を育てるべきであろう。明治時代に日本がとってきたアイヌに対する同化政策について考えさせ,アイヌの人々のアイヌ語使用の権利について考えさせることは,実は高校生にとってもっとも身近なことともいえる。

 また、アイヌ文化理解については,音楽、刺繍など具体的なものを導入としながらも,アイヌの人々の生活観,自然観などについてもふれることができ,きわめてゆたかな内容を持つ。英語という教科のわくにとどまらず,社会科などとの連携もはかることの可能性も提起する。

提案 IV 「国際理解教育と平和学の探求」寺島 隆吉

 ユネスコの高等教育世界会議では平和の文化の発展に対する大学の貢献を提起して いる。平和教育の領域は多岐にわたるが,その根幹として平和,人権,環境問題がある。中でも戦争は人権の破壊であり,最大の環境破壊でもあり,また,民主主義の荒廃につながることなど多面性の理解を追求する。英語教育においてもチャップリンの映画「独裁者」,キング牧師の演説"I HAVE A DREAM",ロック音楽,映画,テレビ番組などを教材化してきたが,すぐれた教材は主体的な学びをひきだすことをみている。 現在は大学における国際理解教育の授業を創っているが,具体的な教材,その配列を 構築していくことが課題であり,その展望をさぐる。参考:拙著『国際理解教育の歩き方 』(発行:あすなろ社,発売:三友社出版)